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日本における魔法の世界観 [学問]

やっとレポートが書きあがりました。久しぶりに手書きでなくパソコンで作成したので、どうせなので載せてみます(自爆)が、批評をコメントに書かないでくださいね。恥ずかしいので。一応コメントは拒否しませんが、批評だけはご遠慮ください。読みたい人だけわざわざ読んでください。

 

今、一番活躍している魔法使いといえば、大体の人は「ハリー・ポッター」と答えるだろう。特に最近の子供たちは、魔法の世界=『ハリー・ポッター』の世界、という図式すら出来上がっているのではないだろうか。しかし、10年前はどうだったのだろうか。私は1984年生まれだが、魔法を扱った作品は?と聞かれたら、『魔法使いサリー』『秘密のアッコちゃん』『姫ちゃんのリボン』『ときめきトゥナイト』がすらすらと挙がってくる。つまりは日本製の魔法アニメ、漫画なのである。

 ここで気づくことは日本の魔法使いは大抵が「女の子」なのである。「大人」や「男の子」が登場しないということではないが、主人公は「女の子」であることがほとんどだ。それと比較すると、外国の魔法の作品は「女の子」や「大人」も登場するが、主人公は「男の子」と正反対のパターンである。外国の場合、女の魔法使いは、「魔法使い」というよりも「魔女」という認識なのであろう。

 今回は日本の「魔法」の漫画をCLAMPの作品、『カードキャプター さくら』と『魔法騎士 レイアース』の比較を主に扱いながら魔法使いの条件や認識、世界観について論じていきたい。

 それぞれの作品のあらすじであるが、まず『カードキャプター さくら』は、主人公の木之本桜(小学校4年生)は、ある日家の書斎にあったある一冊の本を開いてしまう。その本は、魔力を持ち、姿と名前が与えられた、生きているカード『クロウカード』が悪さをしないように封印してある本であった。そのうえ、この本を開くことができるのは魔力を待ったものだけ。本を開き、封印を解いてしまったさくらは本に眠っていた封印の獣に、多少なりと魔法を使う素質があると認められ、魔法を使う際に必要な杖を与えられ、魔法を使いながらカードを集めていく(捕獲していく)物語である。

 この作品はハリー・ポッターのように魔法が認められた世界ではなく、日本の架空の町、友枝町が舞台となっている。そしてこの魔力を持ったカードは太陽か月の属性を持っている。また物語の中で『地』カードを捕まえる際に『樹』のカードを使っている。これは『土』は『木』をもって制している。昔から中国にある宇宙万物を創っているのは五つの要素であるという『五行思想』に基づいている。この作品に登場する魔法は西洋魔法だけでなく東洋魔法も組み込まれていることが分かる。そしてさくらが与えられた杖で使う魔法は、『クロウカード』を作った魔法使いと同じ「闇の力」が根底にあるが、カードを集めきってから、さくらの魔法の属性は「星の力」になっている。

 つまりこの作品では、魔法を使うには魔力が必要であり、古代の科学に基づいた魔法がしようされており、どんな魔法でも使うことができるというわけではない。

 次に『魔法騎士 レイアース』であるが、この作品のあらすじは、光、海、風という三人の互いを知らない少女が「セフィーロ」という異世界を救うために、召喚され、魔法を使えるきっかけを与えられ、自分の中に眠っていた魔法を呼び起こし、自分たちの成長とともに魔法も成長し、「魔法騎士」となって異世界「セフィーロ」を救うという物語である。

 この作品でも、光は火、海は水、風は風、とそれぞれが使える魔法には属性があり、互いに補い合いながら魔法を使っていっている。しかし『カードキャプター さくら』との相違としては、舞台がもともと魔法の存在する世界だということ。

 これに加え、最初に列挙した『魔法使いサリー』『秘密のアッコちゃん』『姫ちゃんのリボン』『ときめきトゥナイト』を併せてみてみると、日本の魔法物語は①非魔法の世界に異分子(魔法使い)が入り込んでくるパターンと、②魔法の世界に異分子(人間)が迷い込むという大きく2つに分類できる。そしてそのどちらも、異分子は元の世界に戻らなくてはならないという構造を持っている点が、外国の魔法を扱う作品との一番の相違であり、日本の作品は魔法は自分を成長させるための道具、もしくは秘密にしなくてはならない、ある種忌むものという認識が読み取れる。外国の作品の多くが魔法を許容した世界を舞台としているのと比べ、日本の作品は日常の中に異分子を放り込む作品が多い。それは自分たちの世界が本当に正しいのか、自分たちの価値観、共同体のルールは本当に普遍的なものなのだろうか、という疑問を投げかけているようにも思える。日本の始めての物語である『竹取物語』も不思議な力や技術を持った異分子が人間界に入り込み、結局は元の世界に帰っていくという「ファンタジー」であることからもそのことが読み取れる。

もともと日本のそれとは違う形で存在していた「魔法」という素材を扱おうとする場合外国の作品と様子が違ってくるのは古代からの日本の物語のあり方あら通ずるものがある。


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コメント 4

一季

面白いです。こんな内容のレポートを書ける講義って何の講義なのでしょう。
にしても、私がこの4年間で受けてきた講義では全くもってありえません。まぁ、学部というか専攻が違うので当たり前ですが。
でも、私も以前森博嗣先生の作品とその書評を引用してレポートを書いたことはあったかも。
それにしても、手書きのレポートが多いのは大変ですね。
by 一季 (2006-01-15 10:04) 

お~い

日本は男の子が主役の魔法物って思いつかないですよね~~~。
主役じゃないけど「ロードス島戦記」とか「おじゃまじょドレミ」
なんか男が魔法使ってますが主役はあくまで剣士や女の子ですから。
その代りかもしれませんが男の子が主役のこういう話って、
「悪魔くん」とか「どろろんえんまくん」みたいな妖怪物が昔
多かったような~~~。
ふむふむって思ってしまいましたです。
by お~い (2006-01-15 13:27) 

春夜

懐かしい作品名が並んでいますね。
確かに日本の魔法使いって女の子が多いですよね。
女の人の方が霊的な力を持ちやすいという考えがあったのでしょうかね?
それにしても、漫画を分析しているようで面白いです。
文学…いいなあ。2年は文学系の科目を絶対に取ります!
レポートはまだ残っているのでしょうか?頑張ってください!!
うちは来週からテストです…はあ。
by 春夜 (2006-01-19 21:44) 

四季

いろいろコメントありがとうございます。
自分では改めて読むのは恥ずかしいので読んでません。
ファンタジー文学の授業で、前期は『スキップ』でレポート書きました(笑)

春夜さん<レポートがあと4つ、全部で40枚程度でしょう(号泣)
by 四季 (2006-01-20 00:01) 

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